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噛まなくてもよい、軟らかい食物の増加によって、現代の若者には、顎が細く面長な顔が増加していると言われています。
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どうして食生活が変わると、顔の形も変わるのでしょうか?
この理由について、徳川将軍の例はあまりにも有名です。
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初代将軍の家康は、肖像画にも描かれているように、エラの張った四角い顔です。ところが将軍家の食物が軟らかくなるにつれ、代々の将軍の顔が変化していっているのです。
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このことは、12代将軍の家慶・14代将軍の家茂の頭蓋骨が、面長で華奢になっていることからわかります。
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| なかでも家茂は、甘いものが大好物でほとんどの歯がむし歯となっていました。徳川将軍もむし歯の痛みには悩まされたのでしょうね。 |
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| <徳川家康の肖像画 四角いエラ張り顔である。> |
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<12代徳川家慶の頭蓋骨 面長で顎の骨が華奢なことがわかる>
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| 『骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと』鈴木尚/東京大学出版会より |
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それでは当時、宮中ではどうだったのでしょうか?
やはり軟らかな食事をしていたのでしょうか?
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| この点についてのヒント。それは雛人形に隠されているのかもしれません。 |
雛祭りは、平安時代に“ひいな祭り”として宮中で誕生し、そして江戸時代に庶民の間で流行しました。
寛永・元禄・享保の各時代のことです。 |
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| <元禄雛> |
<享保雛> |
写真のように、元禄時代の雛人形は比較的丸い顔をしていますが、享保時代の雛人形は面長な顔となっています。
この顔の違いは、
何に由来するのでしょうか? |
元禄時代と享保時代の間は、わずか10年あまりしか経ていません。
単に、その時代の流行の差だけなのでしょうか? |
元禄時代は、江戸時代において町民文化が栄えた時代として有名です。
井原西鶴や松尾芭蕉を始め、歌舞伎や絵画のみならず、食生活も大きく変化した時代なのです。 |
それまで一日二回食であったものが、三回食になったのが,この時代。
また庶民の口に砂糖が入り始めたのも、この時代。
さらに玄米から精製米を食べ始めたのも、この時代。 |
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箱根の峠を越えると“江戸患い”、上方では“上方腫れ”と言われる奇病が流行した。
今で言うビタミンBの不足による脚気のことです。
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さて雛人形は、きっと宮中の人々をモデルにしたに違いありません。
だとすれば元禄時代の食生活の変化が、享保雛の顔に影響を与えたのかも・・・。
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| そのような目で雛人形を眺めると楽しみが増えますね。
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| <よく噛むことでかむ筋肉が発達し、それに伴い骨も頑丈になり四角い顔となる。> |
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| <噛むことが少ないと、筋肉も骨も発達する必要がない。> |
| それでは噛むことと顔の形はどう関係するのでしょうか? |
健康な歯でよく噛むことで、噛む筋肉(咬筋)が発達します。
筋肉が強くなれば、それに応じて骨も厚くなります、だから四角いエラ張り顔になるのです。 |
ところが、健康な歯であっても噛むことが少なければ、筋肉が発達する必要はありません。だから顎の骨も薄く華奢になるのです。
これが現在の若者の特徴的な顔なのです。 |
このままの状態が続くと人間は、どんな顔になるのでしょうか?
脳の大きさはあまり変わらないのに、顎はどんどん小さくなっていく・・・しかも運動不足で手足の骨も細く長くなってくる。
これは空想で描かれた火星人の姿に似ていないでしょうか? |
| 火星人は、火星に住んでいたのではなく、誰かがタイムマシーンに乗って、人間の近未来を見てきたのかもしれませんね。 |